2012年7月28日土曜日

睡蓮、ようやく

 ようやく睡蓮に元気が出てきました。もとあった葉はすっかり抜け落ち、新芽がわんさと出始めました。一ヶ月以上前に植え替えをした結果がでてきたのでしょう。当初は花を見たくて買ったのですが、咲くかどうかは睡蓮次第。未だ来ない将来を心配するだけ無駄というものです。咲くようなら咲くし、咲かないならばそれだけのこと。黙って見ているしかありません。
 水面ではヒメダカが与えられた餌をせっせとついばんでいます。
 これらを眺めているだけでも癒されるものです。植物の生きる目的の一つは、こうして人を癒すことにあるのだ、と最近思います。植物たちもこのようにして魂を磨いているのでしょうか。

2012年7月27日金曜日

粟島 釜谷地区キャンプ場 2012


 久々の粟島です。実に8年ぶりでした。学生時代の仲間を中心に8人が集まれたことに感謝です。以前は島内の移動手段は周回観光船か、民宿に頼み込んで車に乗せていただくかしかありませんでしたが、いつの間にかコミュニティバスが運行(一人200円)されていて格段に便利になりました。
 その一方で私達のような天幕生活者にはいささか厳しい変化もありました。今まで利用していたキャンプ場の砂利が激減し、砂地がほとんどなくなり岩場と化してしまっていました。幕を張れる場所がかなり限られるので、複数のパーティーがあった場合にはかなりの不自由が強いられます。おそらくキャンプ場付近に砂防ダムのようなものが作られ、陸からの土砂の供給が断たれたことが大きな原因でしょう。近い将来は完全な岩場になり、キャンプ場として成り立たなくなるのは目に見えています。私にとっては今回の利用が最後になる可能性が大です。(この釜谷地区だけでなく、内浦地区にもキャンプ場はありますが、砂浜だけですのであまり狩猟の楽しみはありません。)
 それでも今まで通りそれなりには楽しむことができました。捕った魚は刺身にしたり、干して鍋に入れることで濃厚な出汁が取れました。まともな焚き火自体も久しぶりでした。ささやかに燃やしましたが、十分堪能できたので文句は一切ありません。

2012年7月25日水曜日

アンスリウム

 うかうかしていたら10日もアップせずにいました。医院のアンスリウムですがよくよく見ると、ピンクの花がなぜこのような色になるのか、不思議に感じられました。何もアンスリウムに限らず、花の色は他にも多くあります。どうしてこのように色が付くのでしょうか、人の目を楽しませるのが役目であるかのようにも感じられます。


(話は変わりますが、PCで画像調整したものと、アップした画像とで、若干色調が変わるのは気になります。多少彩度が落ちるのはなぜでしょうか)

2012年7月15日日曜日

科学について

 「科学的でない」というものは軽視されたり重要視されない風潮にあるように感じます。かくいう私も以前は何となくそのように思っていました。「科学というのは常に進歩しています」とよく言われますが、これすなわちいつの世においても不完全であることの証拠です。完全であれば進歩も何もないでしょうし、大体において科学は人間の作り出した自然を測るための道具に過ぎません。その道具を作り出した人間がそもそも不完全なのですから無理もありません。
 今となっては「天動説」を笑ったりもできますが、現代でも科学で説明できないことは山ほどあります。もちろんいろんな事が解明されてきましたがその大半は「仮説」の範囲を出ていません。飛行機が飛ぶことだって、じつは詳細は明らかにされていないのです。ただ、翼の形によってどのような動きをするか、ということは気が遠くなるほどの実験によって分かっています。これはいわば経験則で飛行機を飛ばしているのであり、科学的根拠(エビデンス)に欠けています。
 分からないことの例を挙げれば、ウナギだってそうです。生態ははっきりしていません。マンボウの生態だって分かっていないはずです。科学とは実はまったくもって万能からは程遠いのです。ですからあまり盲信するのはよくないと思います。科学的な態度とは「これまでこのようなことが明らかとなっている。であればそれを検証しよう」というものです。あまり「科学」を振りかざすのではなく、あくまでも自然の中の一部として生かされているという事実を胸に謙虚な態度で望む必要がある、と思うわけであります。

2012年7月13日金曜日

バッタの生態

 6月23日にUPしましたように、医院玄関前の鉢植えにバッタが住み着いています。ここしばらくは見かけませんでしたが、久しぶりに出くわしたそのバッタは脱皮をしたようで、一回り大きくなっていました。今回はサフィニアの花の上での再会です。花に穴が空いていることから、どうやら先方は柔らかい花をかじっている模様です。バッタは葉を食べるものだと思っていましたので、花を食べるとは知りませんでした。バッタの生態を新たに知ることができ、一つ賢くなりました。知る喜びを感じることができるとは、幸せなことです。

2012年7月9日月曜日

ノコギリクワガタ

 久しぶりにノコギリクワガタをペアで捕まえました。実に小学生以来ではないかと思います。このペアで産卵させて幼虫から育ててみようと思っています。クワガタはこれまで卵から飼育したことがなかったので、ワクワクしています。実は未だにクワガタの蛹を見たことがありません。子供の頃、図鑑の写真などで目にするたび、憧れの眼差しで見続けていましたが、何とか順調に育てて再来年には蛹を直接この目で見たいです。
 現在、去年生まれたコクワガタの幼虫を飼っていますが、こちらが蛹になるのは来年です。クワガタは2年を幼虫で過ごし、なおかつ、羽化してからはそのままさらに1年を蛹室で過ごします。なぜ1年もその場にとどまるのか、1年飲まず食わずで平気なのか、自然に対する不思議は尽きません。

2012年7月7日土曜日

ヒメダカ

 医院の睡蓮鉢で4匹のヒメダカを飼っています。いちばん体格の良いメダカが幅をきかせて他のメダカを追い回しているのは以前から目にしていました。購入時はあまり体格の差は見られませんでしたが、力のある個体が大きくなったようです。
 今日、よくよく見るとこれはメスでして、画像中央の丸々としたのがそれです。卵を抱えているのも確認できます。左下の細いのはオスで、体格の差がわかるでしょう。結果としてはメスが元気でいちばんの実力者であり、頼もしい限りです。

2012年7月4日水曜日

古稀楼(冷やし中華)




 先日、古稀楼で冷やし中華をいただきました。こちらでは味噌担々麺を食べる確率がかなり高いのですが、ちょうど今が時期ですのでこちらにしました。ごまだれの冷やしは僅かに辛みがありますが、あまり辛いのが苦手な方でも問題なく最後まで食べられるのではないかと思われます。冷やし担々麺は、古稀楼の看板メニューの一つ、味噌担々麺の流れをひいていて、ほどよい辛さ、しっかりとした味付けで飽きが来ません。
 ふと思いましたが、やはりラーメンの類もすでに日本食と言っていいでしょう。外来の文化を取り入れて独自に発展させ、専門化しているのは良くある状況です。ラーメン屋、うどん屋、寿司屋、etc.  海外の食文化で日本のようにここまで細分化しているものは他に類をみません。日本が持つ素晴らしさの一面です。

2012年7月3日火曜日

医院の花2


 ホテイアオイが3週間でずいぶんと大きくなりました。画像左が6月13日、右が今日、7月3日の様子です。横に茎を伸ばし、小さな株が複数できています。一方のスイレンは植え替えをしたせいなのか、今ひとつ元気がないように見えます。ただ、根本を見ると新芽が3つほどありましたので、これからのようです。


 他にも花たちは元気に咲いてくれています。楽しみにしていた桔梗も花頃を迎えていますし、サフィニアも今はボリュームが出てきています。サフィニアは一度切り戻ししてもいいのかもしれませんが、もう少し様子を見るつもりです。緑のカーテンになるゴーヤの花も今のところは雄花がいくつか咲き始めました。

2012年7月2日月曜日

サクランボ

 先日、山形市から届いたサクランボです。同市に住む友人宅の向かいにある農園直送です。味はコメントするまでもないくらいです。これぞまさに宝石、かなりこだわって育てていると、友人から以前に聞かされた記憶があります。
 こちらの農園ではいわば「深山の桜」を咲かせているようで、多くの人が足を運んで花を見に行き、道ができていると思われます。経営者の努力の賜物、素晴らしいです。

2012年7月1日日曜日

甲州印伝

 ずいぶん前から使っていたミンサー織りの財布が傷んでいましたので、機会を見ては財布を捜していました。いろいろなメーカーの財布を見ていましたが、今ひとつピンと来るものがありませんでした。
 そんな中、ある本で甲州印伝について触れられているのを見てから、これだ、と思い、印伝を購入することにしました。調べてみると、あいにく新潟には取扱店はなくネットで購入するかないようでした。できれば直接見て選びたかったので、一家四人で本場、甲府まで出かけてきました。
 一口に財布と言っても、いろいろな形状のものがありますし、さらに印伝にも多くのデザインが存在します。私が決めかねている間に幼い子供達はやはり途中で飽きてしまっていたようですが、それでも辛抱強く待ってくれていたのは助かりました。結局当初から考えていた瓢簞柄にしました。



 財布だけでなく、普段持ち歩く小物も一緒に入れるため、合切袋も買い求めました。一切合切いれておく、ということから合切袋、と呼ばれているようです。

 実際に行ってみて印象的だったのは、伝統工芸の店ですので中高年の方ばかりが来店しているかと思っていましたが、意外にも20〜30代とおぼしき方も3割ほどはいた、ということです。
 私自身は震災後、改めて日本を見直そうという意識が働いていた、という背景があります。一方、来店していた若い方々がどんなきっかけをお持ちなのかは知る由もありません。ただ、世代にかかわらず伝統工芸、言い換えれば日本の良き伝統、に意識が向けられているのは事実ですので、喜ばしいことです。
 最後になりましたが、主な材料に鹿皮が使われていますが、命をもらっていることを忘れずに長く大切に使っていきたいです。