2012年8月5日日曜日

”人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ”を読んで


 発行は5年ほど前の本ですが、著者が稲盛さんであることと南洲遺訓に惹かれました。さすがに名経営者の著書なだけあり、多くの気付きを与えられました。事業を行うにあたり、誠、利他、無私、正道、そういったものに基づいた理念でなければ、長続きしないと断言しています。
 我が身を振り返るに、どれだけ利他の心を持って診療していたか、どれほど無私になり人に尽くしたか、大いに反省させられました。正直、医院は軌道に乗ったとは言い難い状況ですので、つい収入に意識がいってしまいます。返済は大丈夫だろうか、材料費はきちんと払えるだろうか、これではまさに「私」「利己」です。
 もちろん、目の前の患者さんには何が一番理想なのか、考えてはいますが、収入に意識が向いていればそれは無私ではありません。「正道を踏む」ことの大切さを説いていますが、同時に正道を踏むことの難しさも説いています。まさにその通りであると実感しています。
 以下に本文中、私が気になった箇所の一部を列挙します。


・一国の宰相だけでなく、私達にもやらなければならないことがあります。それは、日本を知る、ということです。この国がどのようにして成り立った国なのか、我々の先祖がどういう生き様で国を作ってきたのか、素晴らしいことも過ちも、自分達の国が歩んできた道のりを知ることです。


・私はすでに十分に豊かになった経済力を生かして、他の国々に対して「徳」を以て報いることができる国、言い換えれば「富国有徳」の国を目指すべきだと思うのです。


・富を生み出す国民から収奪するのは本末転倒・歳入不足があれば、必ず増税議論がかまびすしくなってきます。しかし「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也」と、西郷が喝破したように、国民を富ませる努力こそが国を豊かにし、税制を確立することであるはずです。


・やはり才識だけでは長続きしないのです。先にも述べたように、誠の心が欠けた事業は、人の血が通わない冷たいものになってしまい、従業員や取引先、また社会の共感が得られなくなってしまうのです。更に、誠の心を持たない経営者は、小賢しい策略に走るようになり、やがて道を誤り、せっかくの成功も長続きしないのです。


・自分を無にしていかなければなりません。これが大変難しく、勇気が要ることなのです。西郷は、この人間にとって一番難しい「無私」ということを、その生涯で貫くことができた、希有の人です。


・私はこの世に経営者の人格と企業の業績がパラレルになるということを「心を高める、経営を伸ばす」という言葉で表現しています。これは、まさに経営の真髄とも言うべきことです。経営を伸ばしたいと思うならば、まずは経営者である自分自身の心を高めることが先決であり、そうすれば業績は必ず付いてくるのです」


・世の中の多くがご都合主義、あるいは自分の利害得失で生きているなかで、まじめに、原理原則を貫いて生きていこうと思えば、いろいろと困難に遭遇してしまう。しかし、正道を実行する人が困難に遭遇するのは当然のことだ。だからこそ、困難を楽しむくらいの境地にならなければ、正道を実践し続けることはできない。


・托鉢には禅僧の修行として今も重い意味合いがあります。一つは、僧自らが施しを受ける乞食の身になることで他人様からの恵みによって、他によって生かされている己というものを知ることです。そしてもう一つは他人に何かを分け与えるということの喜びを世の人々に知ってもらうことです。お布施のことを喜んで棄てると書いて喜捨というのは、そういう意味が込められているのです。

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